ずっと消えたいと思ってた。
自分のことが大っ嫌いだ。
生きていくのが苦痛でしょうがない。一刻も早く終わらせたい。
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久々に更新します(^^)/
自伝的でつまらない文章になってしまうかもしれないけれど、
お付き合いいただけると嬉しいです。
愛、哀、逢、遭、英語の「I」…いろんな意味を込めてカタカナ表記にしました。
わたしはいつも人の顔色を伺っていて、おどおどしている子どもでした。
学生時代は自意識過剰で、自分に関するうわさ話に振り回されたり、授業で発言するとき緊張して声が震えることに本気で悩んでいたり、嫌われるのがこわくていつも顔に笑顔を貼り付けていたせいでほうれい線が消えなくなって母親の美顔ローラーをこっそり愛用していたり、後ろの席の男子にプリントをまわすときですら手が震えてしまうような小心者でした。
大学に入ってからは、両親の厚意のおかげで自由とお金、広いスペースも手に入れたけれど、
人間関係が爆発的に広がることで、余計に自分の嫌いな部分と向き合わざるを得ず、
全然幸せではありませんでした。
それどころか、何度生まれ育った環境を憎んだか、数えたらキリがありません。
自分のことを好きになれない分、
誰かのことを損得抜きで愛したい、っていう気持ちはいつもありました。
でも自分自身、自分のルーツ的なものを好きになれない以上、
事あるごとに心の中で毒づいて、落ち込んで、の繰り返しでした。
誰かを好きになるたびに、そんな自分と向き合わざるを得なくて、ずっと頭のなかのぐるぐると闘ってた気がします。
ネットでいろいろ調べてて、自分はHSP(Highly Sensitive Person) の傾向があるんだろうなあって気付いてからは、
なるべく周りから入ってくる情報を減らすように心がけました。
電車ではイヤホンをする、就業中は無理に雑談をしようとしない、全員に好かれようとするのをやめる、一人になれる時間をつくる、息が詰まったらあてもなく散歩をして気を紛らわせる。…
そして、一緒にいて心がざわざわする人よりも、
心落ち着ける人に意識的に目を向けて、なるべく素を出してみるようにしました。
なにか発信したら受け止めてくれたり共感してくれる人がいるっていうのは、
すごくありがたいし、満たされることですよね。
そんな人たちと関わって、好きではなかった自分を見せていくことで、
少しずつ自分のことを受け入れられるようになって、もやもやに悩まされることも少なくなった気がします。
どう思われるか、どうあるべきかより、どうありたいか。
出来なかったことよりも、よく出来たことに目を向けること。
幸せになりたい、よりも、幸せにしたいかどうか。
最高のアイを見つけるための3大ヒントなんじゃないかなと思います。
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今は、人生を一刻も早く終わらせたいなんて思いません。
自分が自分である以上、自分との闘いは続くんだろうけど、
いまは生まれ育った環境や両親に心から感謝できるし、大好きな人もいて幸せです。
これからの人生は前半を挽回すべく、
より良いものにしていきたいなあと、思う次第です。
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最後まで読んでくれたみなさま、ありがとうございました( *´艸`)
恥ずかしくなったら、あとで消すかもしれないです。笑